2011年1月31日月曜日

1月が終わりました

1月が終わりました。

とても長かった気がします。
今月の最初には、家族で志賀高原でスキーをしていたのに、生死に関わる状況になろうとは・・・

最初に病状の説明を受けた時に、ママは、先天性真珠種の治療で入院した際に、検査で何も出てこなかったし、昨年も血液検査をやっているのに何故?と質問していました。

急性白血病の場合、2か月前はおろか、1か月前の血液検査でも分からないそうです。

そして、入院の時点では、ゆうりはいたって元気でした。
本人は自覚症状が全く無く、何故病院に来ないといけないの?と何度も聞いていました。

このように、家族、本人を含め、白血病の話をしても、最初はなかなか受け入れて貰えないとのことでした。
事実、私たちも、何か夢を見ているような感覚が、ずっと抜けませんでした。

しかし医師からは、
「このまま1カ月何もしなければ、確実に死に至ります。
だけど、まだ手遅れの状態になる前に、この場(治療をおこなう場)に来ることができたのは、非常に運がいいですよ。」と。




はじまりの日。
転院が決まり、準備のために大垣市民病院から帰る途中、ゆうりが言いました。

「パパ、どうしてそんなに怒って運転しているの?」

白血病と言われてから、どうしてゆうりが?なぜゆうりが?何をやったから?何がわるかったの?何かできなかったの?これからどうなるの?と、そんなことばかり、ずっと考えていました。
それが、知らず知らずのうちに、顔に出てしまったのでしょうか。

ごめんね、ゆうり。いちばん不安なのは君だよね。

正式に診断が下りた夜、病気のことを、ママがゆうりに分かりやすく説明してくれました。
そして、病気をこれからやっつけていくから、3人でがんばろうと。
ゆうりも「わかった。がんばる!」と言ってくれました。

パパも吹っ切れました。
全力で立ち向かっていきます。

保育園退園

白血病と診断された際に、保育園にも病名と、長期入院で今後の出席は見込めない旨を、連絡しました。

早めに連絡しておかないと、2月中旬に予定されている発表会のことで、色々とご迷惑をかけると思ったからです。
(ゆうりは劇で、おじいさんの役をやる予定でした。)

すると保育園より、出席の見込みがないのであれば、2か月分の保育料が勿体無いので、1月末を以て途中退園にしてはどうか?と申し出て下さいました。
しかも手続き上は途中退園としますが、他の園児と同様に卒園証書を出して頂けること、卒園アルバムも出して頂けること、もし早期に退院できることがあれば、いつでも復園可能なことを、言って下さいましたので、本日付けで途中退園とすることにしました。

むつみ保育園のひびの先生、本当にありがとうございました。

※私は全く記憶にありませんが、母親によると、私がむつみ保育園に通っていた頃にも、ひびの先生にはお世話になっていたそうです。

AML05 寛解導入療法1 スタート

Day 4

本日より、12日間にわたり、抗がん剤投与をおこなっていきます。
初日なので、副作用もなく一日過ごせたようです。

あと、先生から予告されていた通り、病室の移動がありました。
4人部屋の709号室から、個室の703号室に移動です。
病室の窓からは、清流長良川が見えます。

AML05 寛解導入療法1

AML05 寛解導入療法1  投薬内容

1.グラニセトロン【吐き気止め/点滴】
   [期間]1/31〜2/11
2.ソリタT1【輸液/点滴】
   [期間]1/31〜2/11
3.エトポシド【化学療法薬/点滴】
   [期間]1/31〜2/4
   [副作用]骨髄抑制、脱毛
4.キロサイド【化学療法薬/点滴】
   [期間]2/5〜2/11
   [副作用]骨髄抑制、アレルギー反応
5.ノバントロン【化学療法薬/点滴】
   [期間]2/5〜2/9
   [副作用]心筋障害
6.メソトレキセート/キロサイド/ハイドロコートン【化学療法薬/髄注】
   [期間]2/4
   [副作用]吐き気、嘔吐、頭痛

2011年1月30日日曜日

朝起きると

Day 3

朝起きると、見事に雪が積もっていました。
道中の渋滞が予想されたため、急いで支度し病院へ向かいます。

病院到着後、自宅に帰るママを駅まで送りました。

今日は、ママの実家からお義父さん、お義母さん、我が家からは父、母、そして弟がお見舞いに来てくれました。

お見舞いで、釉理の好きなイチゴをたくさん頂きました。
しかし、明日から化学療法が始まるので、イチゴは今日までしか食べることが出来ません。
当然、付き添いの僕たちも食べることが出来なくなります。

夜、親子3人で最後の晩餐の如く、頂いたイチゴを食べ尽くしました。

2011年1月29日土曜日

いろいろと準備

Day 2

朝、買い物をすませ、病院に向かいました。
外出のことを考え、ママの車で病院に向かいました。しかし、ママは寝不足なのと、地理が分からないため、車で出掛けたくないとのことでした。

お昼過ぎ、釉理の友達がお母さんとお見舞いに来てくれました。
病室に入ることはできませんので、ガラス越しでの面会でした。

夕方、看護師さんから、化学療法を始めるにあたり、注意事項についてのレクチャーを受けました。

2011年1月28日金曜日

【病状等説明】No.1

【診断】
急性骨髄性白血病

【予後】
全体で60%~70%程度
(低リスク群:70~80%、中間リスク群:50~70%、高リスク群:40~60%)
⇒腫瘍細胞の染色体や遺伝子変異の結果、初回の治療に対する反応性などによって、3つのリスクに分類
 よって、現時点ではどのリスクに分類されるかは不明。

【治療】
低リスク群、中間リスク群では5コースの化学療法、高リスク群では3コースの化学療法と造血幹細胞移植(骨髄移植など)をおこない、治療期間は6カ月~9カ月程度。
化学療法には、髄腔内注射(髄注)という、中枢神経(脳や脊髄)への腫瘍細胞の浸潤を予防・加療する治療も含む。
1コースの治療ごとに骨髄の検査(マルク)をおこない、治療の効果を判定。

【治療の副作用・合併症】
・化学療法による骨髄抑制
  貧血・血小板減少→輸血による対処
  白血球減少による易感染性
   →予防的な抗生剤・抗真菌剤の投与、日常生活での清潔管理・食事制限など。
    時に致死的となるため、十分な注意が必要。
・脱毛
・嘔吐、下痢、便秘などの消化器症状
・腫瘍崩壊症候群(特に治療初期)
・輸血による副作用
・晩期障害:2次がん、不妊、低身長などの内分泌障害など

【今後の予定】
1/30 採血、点滴量Up(腫瘍崩壊症候群の予防)
1/31 治療開始予定

ピカチュウ

主治医のかどい先生に、プレゼントして貰いました。
処置用のゴム手袋で、作ったそうです。

・・・すごい。

診断名:小児急性骨髄性白血病(AML)

Day 1

朝、二人の様子を見るために、病院によりました。
案の定、二人ともあまり寝れなかったとのことです。

9時過ぎに会社に出社し、状況説明をしました。
話をしているうちに、どんどん涙がこぼれてきます。
社長からは、家族のことを最優先にするようにと言われました。
その後、各部署のリーダーが集まり、わたくしの仕事の分担をおこなって頂きました。
素早い対応、本当にありがとうございました。

会社は午前中のみで早退し、午後からまた病院に戻りました。
その日の午後は、中心静脈カテーテル挿入をおこない、その後MRIにて脳内出血、内臓出血がないか、検査をしました。(何れも異常はありませんでした。)

夜7時過ぎ、担当の医師から検査結果の説明を受けました。
診断結果は、小児急性骨髄性白血病(AML)でした。

1時間以上にわたり、診断内容、予後、治療、治療の副作用、合併症、今後の治療予定、医療費、クリーン管理、院内学級、院内での生活など、ひとつひとつ丁寧に説明と、それらに対する質疑応答をおこなって頂きました。ありがとうございました。


最後に先生から、「お父さん、とても落ち着いていますね。もしかして、医療関係のお仕事されていますか?」と言われました。

いえいえ、落ち着いていないと、涙が出そうだったので、ぐっと我慢していただけです。
それから、大学の先輩で同じ病気の方がいらっしゃったので、少しだけ予備知識がありました。

2011年1月27日木曜日

はじまり

Day 0

朝早く目が覚めました。
入院準備のことを考え、ママの車で家を出ます。
担当医からの説明を聞くために、8時前に病室に入りました。

ママから、ゆうりが通う保育園への連絡を頼まれていたので、病院から電話をします。
いつまで入院することになるのか見当もつかなかったので、急遽入院することになったことだけを伝え、暫くお休みすることを連絡しました。

すると間もなく、担当医が病室に来ました。
約束の時間前で、しかも手ぶらでしたので、様子を見に来たのかな?と思いました。
ところが、
・昨日の検査の結果、やはり白血病である可能性が高い。
・大垣市民病院では小児の白血病の治療が出来ないので、岐阜市民病院へ行ってもらうことになる。
・すぐに検査をするので、午前中に移動して欲しい。
と言われました。

全く予想外の話しに困惑しつつも、時間がありませんので、これからのことを考えます。
どちらにしても、入院の準備が必要ですので、一旦家に帰り、それから岐阜市民病院に向かうことにしました。

慌ただしく自宅で入院の準備をし、12時前に岐阜市民病院に到着しました。

到着すると直ぐに診察室に通され、診察及び採血をしました。
その結果、昨日の大垣市民病院の検査結果に間違いは無く、白血病でる可能性が極めて高いといわれました。
そして、この後、心電図計測、胸部レントゲン撮影、骨髄穿刺(マルク)をおこなうことになりました。
また、昨晩15,000あった血小板の数が、この時既に9,000を切っており、危険な状態にあるため直ちに輸血の手配がされました。
それと並行して、医師より各種処置の説明、同意書へのサイン、治療をおこなう小児血液疾患センターに関する注意事項の説明など、次から次へとこなしていきました。
合間に、父親、ママの実家、会社に連絡しました。
気を緩めると涙が出そうでしたので、簡潔に事実だけを伝え、詳細は改めて話しますから、と手短に連絡を終えました。

途中、ママの実家から、お義母さんが駆けつけてくれました。
おかげで、ゆうりも病室で落ち着くことが出来、僕とママは医師や看護師からの説明を、じっくり聞くことができました。


夜7時過ぎ、ようやく落ち着くことが出来たところで、担当の医師にママと二人別室に呼ばれました。
そこで、現在の状況についての説明を受けました。
・マルクの結果は翌日の夜に出ますので、改めてご説明します。
・が、本日採取した髄液を顕微鏡で確認した結果、急性白血病と見て間違いありません。
・入院治療は最低半年です。
・白血病の治療はクリーン環境での治療となるため、付き添い・面会は原則両親のみです。
祖父母、兄弟の付き添い、面会は原則不可です。
・正式診断はまだ出ていませんが、少しでも早く治療を開始出来るように、明日中心静脈カテーテルの挿入をおこないます。

消灯時間となった9時半、ゆうりとママを残し、病院を出ました。
帰り道、関ヶ原今須から、電車で駆けつけてくれたお義母さんを家まで送り届けます。

今須の実家に到着すると、お義父さんと義弟のまさはる君が待っていました。
二人に、昨日と今日の出来事を話し、実家を後にしました。

自宅には23時過ぎに到着し、長い長い一日が終わりました。

署名、捺印

・輸血同意書
・日本小児白血病リンパ腫研究グループ(JPLSG)における小児血液腫瘍性疾患を対象とした前方視的疫学研究
 =JPLSG研究参加登録及び中央診断/検査への検体提出について=
 =余剰検体提供について=

上記について、署名、捺印をしました。

大垣市民病院での検査結果

2011年1月26日 18時19分測定
白血球:39,580
赤血球:2,910,000
血小板:15,000

⇒病名:出血傾向 白血病の疑い

2011年1月26日水曜日

それは、ある日突然に

いつもと変わらない朝でした。
ゆうりの着替えの際に、ママから体の痣と湿疹のことで、医者に見せた方がいいかな?と相談を受けました。
ゆうり本人は、いたって元気でしたが、保育園の発表会も控えているし、小学校の入学準備などで、この先忙しくなるから、早目に行っておいた方がいいんじゃない?と答えました。

***
そして、その日の夕方、ママから電話がかかってきました。
かかりつけの万石小児科で診てもらったところ、紫斑病の疑いがあるので、直ぐに大垣市民病院に行くように言われ、今市民病院の夜間救急で検査をしていますとのことでした。

実は、以前にも同じようなことがありました。
その時も、同じように検査をし、異常も見られず点滴だけして帰ってきました。
今回も同じ様に、点滴で帰るのが遅くなるかな?と思い、早目に仕事を切り上げて、病院に向かうことにしました。
ママの携帯に、これから病院に向かうとメールを入れ、会社を出ました。
すると程無く、電話がかかって来ました。
涙声で「白血病かもしれないって・・・」



頭の中が、真っ白になりました。
「とにかく、病院に向かっているから!」とだけ言い、電話を切りました。

大垣市民病院に到着し、夜間救急の待合室に行きました。
しかし、ママとゆうりの姿が見えません。
看護師に聞くと、既に病室に移動したとのことでしたので、そのまま走って病室に向かい、ようやく午後7時過ぎ、釉理に会うことができました。

ゆうりは、点滴を受けているものの、元気な様子でした。
普通に会話も出来て、深刻な状況にあるとは思えません。
でも、ただちに入院が必要な状況であり、詳しいお話は明日9時から担当医からおこないますと言われました。

それ以上病院にいても出来ることはなく、ママとゆうりを病院に残し、一旦家に帰ることにしました。
帰り掛けにママから血液検査の結果を貰いました。
それぞれの数値が、どんな状況を示しているのかを判断することはできませんでしたが、白血球と血小板の数値の横には、「Panic」と記載されていました。

ブログ開設

ブログを開設しました。
いろいろと起きたことを、とりとめのない文章ですが、書きとめていきます。

※実際にブログを開設したのは2011年2月7日ですが、それまでの出来事を時系列に並べるために、日付を変更しています。